2008年6月 寺山心一翁 月の言葉 | 寺山心一翁のガン治しの方法は、ガンに愛を送ること、意識を高めること。

寺山心一翁 月の言葉

寺山心一翁 月の言葉

2008年6月の言葉 「今年も行きました」

2008年6月の言葉

毎年6月恒例のアメリカ、カナダの旅の報告です。

アメリカのサトルエネルギー学会への出席は、いまや私の生きがいにもなっています。
11回目になった今年の参加も無事に果たし、またアメリカとカナダで講演やワークショップをすることができました。


出発前日の6月10日、朝日カルチャーセンターで、意識の超越理論の第3講にあたる『魂の意識』についての講演をおこないました。
魂の意識とは、人間の体の中においてはもっとも高い階層の意識であり、それはまた、死ぬと体を離れる意識でもあります。今回の内容は、初めて参加した人には、驚くこともあったかも知れませんし、続けて講義を聴きにきてくださっている方々にも、ショックキングだったかもしれませんが、皆さんの理解は早かったように思います。また、チャクラの存在がどういうものか、ますます身についてきているようにも思いました。次回7月8日の講座でお会いすることを約束し、宿題を出して講義を終えました。

6月11日、サンフランシスコに向けて旅立ちました。今回は、ISSSEEMでご一緒することになった天野聖子さんが旅の最初から最後まで私に同行しました。天野さんはコスミック・アカデミーを主宰され、サトルエネルギー学会の会員です。
サンフランシスコ空港には、私達より4〜5日前に日本を出た、永山勝英さんが待ち受けていてくれました。一時間近く飛行機が遅れたにもかかわらず、辛抱強く待っていてくれました。永山さんの出迎えを受けて、さっそく車に乗り、シャスタ山への5時間あまりのドライブがスタートしました。

まず永山さんは、バークレイに渡ったところで、「ちょっと寄って行きましょう。」と、LAバークレイ校の入り口近くにあるカフェに連れて行ってくれました。ここは学生や教授たちが集まり、インターネットで情報交換していることで有名な場所です。数年前、私もこの歴史ある、ノーベル賞受賞者をたくさん出したバークレイ校で講演したことを思い出しました。ここで日本を離れてから最初の電子メールのチェックをして、またハイウェイに乗りました。 楽しい旅の始まりに、改めて永山さんの心配りに感謝しました。

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シャスタには、夕方7時半頃に着きました。
今年のシャスタ訪問は、例年より早かったので、時期的にちょうど夕日がシャスタ山の頂上付近に沈むことが予想されました。そこで、急いで夕日の見える場所に向かいましたが、残念ながら曇っていて見ることができませんでした。
夜遅く宿舎のストーニー・ブルック・インに入りました。長旅の疲れを少しでも出そうと、まずはおなじみのジャグジーに飛び込み、きれいな空気の中で静かな時間をとりました。


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翌朝早く、宿の近辺を約1時間ばかり散歩しました。真っ青な空にそびえるシャスタ山がなんと美しいこと。


今年のシャスタには、雪がたくさん降ったとのことでした。しかし、昨年訪れた時より、1ヶ月ほど季節が早いにもかかわらず、シャスタの雪は、驚くほど融けていました。
朝食のとき、この異常さを、宿のオーナーの鈴木弘美さんに聞いたところ、この事実はまさに憂慮すべきことだと言っていました。
雪が多く降っても、早く融けてしまうと、いずれは有名なミネラルウォーターも不足する事態が起きるかもしれません。

その日の午後は、シャスタのダウンタウンにあるインターネットカフェに行きました。その折、穴口恵子さんがこの地で経営するお店に立ち寄りました。
穴口さんは、翌日シャスタに入るとのこと。お会いできたらと思い伝言を残しましたが、お互い時間が取れずに流れてしまいました。

夕方から『愛と変容のワークショップ』の参加者の皆さんが、高原操さんが引きつれて到着しはじめました。今回の参加者は6名、スタッフ全員を含めて10名です。深いワークショップができそうな予感がしました。
ワークショップが始まりました。いつもはワークショップが終了するときに記念撮影するのですが、今回は初日に先ず撮りました。もちろん、途中でも、そして終了時にも撮りました。使用前、使用中、使用後のエビデンスとしては、なかなか味のある記念撮影ができたと思っています。

ワークが終了した夜11時頃、いつもはシャスタ山の見える丘に登ってUFOを見つけるのが恒例になっているのですが、今年は月の光が明るく、素晴らしい天の川はさっぱり見えませんでした。もちろん、UFOも人工衛星も見ることができませんでした。楽しみにしていたので残念でした。

6月14日は、マウントシャスタ・ラべンダー・ファームがオープンする日です。このラベンダー畑は精神科医のデイビット・マグリー・ウィリアムズ氏が、患者の治療にはラベンダーがよいということから、広大な土地を借りて始めたもので、年々規模が大きくなっています。まだ誰も花を摘んでいないラベンダー畑に入ると、今年は少し暖かさが足りなかったため、十分な開花は見られませんでしたが、畑はすでにミツバチたちでいっぱいでした。

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ラベンダー畑の真ん中に作られたラビリンス(迷宮)をたどって、まん中にある岩にたどり着いたときに、胸の内から感動のエネルギーがこみ上げて、目に涙が出てきてしまいました。この迷宮は、フランスにあるシャルトル大聖堂の床のラビリンスと同じ大きさをとり、境目にラベンダーを植えて作ったものです。
この迷宮の道をぐるぐるまわって、ようやく真ん中に置かれた岩にたどり着いたときの感動は、人生そのものを意味しているとしか思えませんでした。


寺院などのエネルギーの高い場所もそうですが、ラベンダーの香りに囲まれたこの場所も、また同じように高いエネルギーを感じました。
昨年この場所を訪れた神渡良平さんも、同じような体験をされたと聞かされました。
中央の岩からまた迷路をとおり出口に来たとき、自分の意識が高められているように感じました。

その日の午後は、参加者全員でスウェットロッジを楽しみました。スウェットロッジは、ネイティブ・アメリカンのメディスンマンであるホワイトイーグルという人が、毎週土曜日に行っています。
始まる前に、約1時間ほどかけて10人くらいのネイティブアメリカンがスウェットロッジの外で太鼓を叩きながら、祈りの言葉を唱えます。その太鼓が7つのチャクラを震わせ、憑依をとる準備をしたのでしょうか。スウェットロッジの後は、皆の顔が変わっていました。

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3泊4日のシャスタでのワークショップ最後のイベントは、モズブレーの滝を見に行くことでした。
滝から落ちる水で、付近は水蒸気がたくさんたちこめています。皆に指の先から立ち上るオーラの姿を見てもらいました。ここでは極めて容易に見ることができます。これは、エネルギーが高い場所では、人体の発するエネルギーが容易に可視光線の領域にまで広がるためだと考えます。みな自分の指の先に鋭く立ち上がるオーラの線を眺めて驚いていました。これは、ワークショップの後で、皆の意識が変わり、エネルギー的に高まっている証拠の一つでもあります。私のオーラも良く見えたと皆さんが言っていました。


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夕方、皆さんとお別れして、サンフランシスコ市内の真理・ジェイコブソンさんを訪問しました。
ジェイコブソンさんご夫妻には、東京でお会いしました。
真理さんはピアニストです。真理さんのお宅には、サンフランシスコ・イスキヤを主宰する有子ガウアさんも来てくださっていました。お二人は4年ほど前すでに、サンフランシスコの日本料理店で出会って知り合いでした。今回の夕食は、そのお店のシェフだった兵頭康彦さんが料理をしてくれました。


真理さんの自宅は、遠くにゴールデンゲートブリッジが見えるところにあります。皆で、まさに夕日が沈もうとする情景を楽しみました。

おいしい食事をいただいた後、真理さんと二人で演奏を楽しみました。合奏だけでなく、二人のソロも演奏し、時間を忘れて過ごしました。

宿泊先であるサンノゼの羽田直樹さんの家に到着したのは、夜中の12時を少し過ぎていました。直樹さんは、7月に出産を控えた奥さんのため、また、今回の私の訪問にもあわせ、その前日に築百年の一軒家に引越しをしたばかりでした。永山さんの最後までの運転、本当にご苦労様でした。

6月16日朝起きると、広い庭に、たくさんの植木を購入してあるのに気がつきました。これから植えようとしているのだなと、直樹さんの自然を愛する気持ちが伝わってきて嬉しくなりました。

直樹さんは、お昼にベジタリアンのカレー店に連れて行ってくれました。肉や魚の形をしたグルテンに、肉と魚の香りと味をつけて出していたのには驚きました。アメリカで肉を食べない人たちが増えてきている証拠です。聴くところによると、アメリカの癌による死亡者が減り始めているとのことで、大いに食との関連性があるのを見ました。

その後、講演会場のアドビ本社の講堂を見せてもらい直樹さんの家に戻って、大急ぎで講演内容のチェックをし始めました。何だか、面白い講演会になる予感がしました。

夜7時からの講演『がんが消えた』に先立ち、日米タイムスの記者から取材を受けました。そして、その夜の講演を聴いてくれて、とても内容のある文章にまとめてすぐに新聞の記事にまとめてくれました。

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開場すると、続々と人が入ってきました。羽田直樹さんのネットワークのすぐれている点が、見事に現れていて、感謝でいっぱいでした。
また長年の親友である川瀬勝さんも、奥さんと共にたくさんの人にこの講演を知らせてくださり、皆さんの協力で会場をいっぱいにしてくれました。


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今回の講演ではサブタイトルに、シリコンバレーでIT産業の最先端で働く人たちにも聞いてほしいという思いから、『五感を高める・直感力を養うことの大切さとその方法』をあげました。

2時間の講演の中に、30分間は質疑応答の時間を設けましたが、熱心な質問が相次ぎました。講演終了後も、皆さんは本のサインなどを求め、約1時間近くも会場に残ってくださいました。


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翌日は、朝9時半から個人相談をしました。終了した後で、夜には直樹さんが懇親会を催してくれました。夜遅くまで皆さんと語り合い楽しい時間を過ごしました。

翌朝早く、ISSSEEM参加のために、飛行機でデンバーに移動しました。からだを休める余裕もない忙しさで、興奮が収まらないうちに次の予定に移るスケジュールは、私にはちょっと過酷だなと思いました。
夕方、ボールダーの宿泊先であるミレニアムホテルに到着すると、直ちにプールに向かいました。厳しいスケジュールなので、体力を回復するのが第一だと思ったからです。
同室の永山さんが、本当に親身になって私のことを支えてくれました。

6月19日夕方6時から、ISSSEEMのリセプションがボールダーにある、ISSSEEM元会長のHubbard博士宅で開かれました。土井麻里さんが、日本からの長旅の疲れを癒す暇なく、到着したばかりで一緒に参加をしてくれました。このリセプションは、約70人が参加しました。中でも目立ったのは、エネルギー医学のダナ・イーデンさんご夫妻と、旧知のラリー・ドッシー博士でした。

6年ぶりにお会いするラリー・ドッシー博士は、神々しく見えて、お互いに再会を喜びました。ダナ・イーデンさんとは2年ぶりの再会です。二度目の出会いにもかかわらず、二人とも意気投合してハグをしてしまいました。

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ドッシー博士は、私が先月ホームページで紹介をしたグレッグ・ブレーデンさんとも親しくされているとのこと。また、6月にルパート・シェルドレイク博士がサンタフェで講演をした折、日本人の暴漢に襲われて傷を負った時には、夫人のバーバラさんとともに誠心誠意治療に尽くされたそうです。一週間、ドッシー博士の自宅に滞在することで傷を癒されて、ロンドンに帰られたことを、シェルドレイク博士からのメールで知りました。

このリセプションで、ダナ・イーデンさんとラリー・ドッシー博士から、ご本人たちの講演の前にチェロを弾いて欲しいと頼まれました。
リセプション会場に持参したチェロが、皆さんの心にとても響いたようでした。

6月20日、いよいよISSSEEMがスタートしました。
ISSSEEMは、The International Society for the Study of Subtle Energies and Energy Medicineの略語で、今年は第18回目の開催です。私は1998年から毎年参加し、今回で11回目になります。

この日は、プレ・コンファレンスと名づけてたくさんのワークショップが、朝から開催されていました。私はクリスティン・ペイジ博士のワークショップに参加しました。
既に日本でも知名度が上がっている『チャクラ〜癒しへの道』の著者、クリスティン・ペイジ博士のワークショップは、モーゼとハリー・ポッターの魔法の杖の共通点をテーマに取り上げ、いまや皆の意識が高く上がっていかなければならないことを、ワークショップの中で気づかせてくれました。

ディナーの後は、ダナ・イーデンさんの講演からカンファレンスがスタートしました。
彼女の講演の前に、私はチェロでエストレリータを演奏しました。会場がざわめきから、一瞬のうちに静寂を取り戻すと、ダナ・イーデンさんはエネルギー医学の真髄を語り始めました。経絡の大切なポイントに熟知したイーデンさんは、大切な経絡のポイントをちょっと押すことで、感情が変わり、意識が変わり、痛みが減ることを皆さんの前で実演してくれました。聴衆の中から、任意に人を演台に上げ、キネシオロジーを用いてチェックしながら、その効力の素晴らしさを表わしていく方法は、藤谷康允先生が引き受け氣功で行う方法ととても良く似ている面があることを発見しました。
ダナ・イーデンさんは、エネルギー医学の大もとに気づいて、既に二十数年間、このことを人々に説き、『Energy Medicine』 を著し、さらに2冊の本を出しています。最初の1冊目が日本で間もなく出版されるということを聞きました。出版されたらぜひ手にとって見てください。

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6月22日の日曜日は、この学会のヤマ場でもありました。
午前にラリー・ドッシー博士の講演がありました。2006年6月にニューズウィーク誌に掲載された、祈りが癒しに効かないだけでなく、危険である、というハーバード大学医学部の科学的なデータを使いながら、このような盲目的なデータ分析が、科学を超える深い意味を否定するような結果を招くことを説きました。様々な祈りが癒しに効果を与えた個別のデータを添えて、いまの科学は意識を無視しているとすら言い切っていました。


講演の最後に、ドッシー博士は私の出番を作ってくれました。私のことを、日の出を見ながらガンを癒す道を見つけていったと紹介してくださり、太陽を手で持っている写真をたくさん用意して、私のチェロ演奏と一緒にスライドを進めてくれました。この講演の後、聴衆は総立ちになって拍手を送ってくださいました。私のチェロは、スライドを見ながらの即興演奏だったのです。とても楽しい時間が持てたことを、ラリー・ドッシー博士に心から感謝しました。
終了後の昼食会では、たくさんの人たちが挨拶に来てくれて、私にチェロのお礼を言ってくださいました。

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午後はペイジ博士の講演です。今、皆の意識が高まって行くことが緊急課題であることを、2012年に向かって色々なことが進んでいっていることも話題に出しながら、講演されました。

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6月23日、エネルギーを冠にした、例えば、エネルギー・サイコロジーから、エネルギー・タッチといわれるいろいろな学会の長といわれる人たちのパネルディスカッションが行われました。


皆それぞれが独自の表現でそれぞれちがった言葉を使っており、内容的には同じことを指しながら、深みに入っていけない、智慧のないパネルディスカッションでした。
言葉は共通の言語としてその意味が認識されなければ、時として場面を混乱させ、無力です。頭のいい人ほど、言葉を多様に用いて物を複雑にして分からなくさせる、典型的な現象をここで目の当たりにして、私は心の中で悲しみを覚えました。

その後、ISSSEEMのメンバーによる総会が行われました。今回、日本人が10名参加したことが、拍手で紹介されました。中には英語ができなくて全くコミュニケーションのできない人もいたものの、勇敢な日本人だったと盛大な拍手が送られ、私たちも全員起立してその声援に答えました。

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その日の午後は、クリスティン・ペイジ博士が持っているインターネット・ラジオ番組の収録がありました。

ペイジ博士は私のインタビューをホテルの一室で、1時間にわたっておこなってくれました。私のガン治癒の詳細をご存知のペイジ博士は、私がインタビューに答えやすいように、終始にこやかに録音が進められました。途中で、チェロまで弾く機会をいただき、一時間があっという間の時間に感じました。永山さんがはじめから終わりまで立ち会ってくれて、写真も撮ってくれました。この収録は1時間後に直ちに放送されました。


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6月27日、ISSSEEMでの一連の仕事を終え、デンバー空港で永山さんとお別れし、ロサンゼルスに向かいました。空港にはロスアンゼルスでの講演を主催してくださった阿野陽子さんと、セドナのツアーを行ってフェニックスに住んでおられる下野絵里さんが、天野さんと私の二人を迎えてくれました。


講演するにあたって、阿野さんの趣旨をお聞きしてロサンゼルスの状況を加味しながら、講演のパワーポイントのスライドをまとめることにしました。それに先立ち、私が今まで一度も訪れる機会がなかったレイク・シュラインに行きました。

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この場所は、『あるヨギの一生』で有名な、パラマハンサ・ヨガナンダによって創られた場所です。
その場所に入るなりエネルギーの強さに圧倒されました。きれいな水が湧き、景観に恵まれた池の周りに、ヨガナンダが瞑想したという風車のある教会や、丘の上に建てられた聖堂があり、いずれもヨガナンダのエネルギーを強烈に感じました。一時間くらいの予定で訪れましたが、気がつくと四時間余の時が流れていました。その日は昼食もとらず、至福の時間を過ごすことが出来ました。


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阿野さんの自宅に戻り、レイク・シュラインの余韻を残した勢いで、パワーポイントの最終チェックをはじめました。講演の内容を色々と模索しているうち、ヨガナンダが我々に何を伝えようとしているのかも感じはじめて、その夜はあまり寝付けませんでした。

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6月28日は、午後からロサンゼルスのダウンタウンにある、日米コミュニティセンターで講演がありました。講演のタイトルは、『末期ガンを自然治癒させて、元気に生きる』です。


翌日は、同じ場所でワークショップを行いました。前日来てくださった半分の人たちが参加してくれました。朝から夕方までを使う一日ワークショップですが、参加者の意識がどんどん愛に満ちて、変容していくのを感じて嬉しくなりました。ロスのような大きな都会にいると、人々はグラウンディングしにくくなっていくのでしょうか。

参加者の中に一人、日本からロサンゼルスにヒーリングを学びに来ていた医師がいました。ご本人は大変満足して、「こんなワークショップがあるのか」と、体験学習の素晴らしさに感動していました。今の医師は勉強方法に何か欠けているものがあるのかもしれませんね。ご本人がそう言っていたことが心に残りました。

7月1日早朝、ロサンゼルスでのすべての仕事を終えて、今回の最後の訪問地である、バンクーバーに向かいました。
空港にはバンクーバーでの講演会とワークショップを主催してくれる「バンクーバーアセンション委員会」の相木陽子さんと宮地昭彦さんが待っていてくれました。

山川紘矢・亜希子さんご夫妻のご紹介で知り合った相木陽子さんは、観音様のようなお顔に見えました。また宮地さんはまさに菩薩様という感じを受けました。宮地さんは昨年の10月、右腎臓がんを摘出手術したあと、抗がん剤や放射線治療は一切受けませんでした。元気そのものだったからです。そして、昨年以来メールの交換をしているときに、私の母校、日本学園高校の6年後輩であるとも判明しました。ご縁というのはこのようにいろいろ繋がっているのですね。

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空港には、なんと昨年7月、女神山での私のワークショップにカナダから参加してくださった方が来てくれおり、その後ろには、ドロシー・マックレーンさんの日本訪問のときに秘書をされたルイーズ・デイさんが現れました。
予期しなかったルイーズさんの顔を見つけて、嬉しさのあまり駆け寄りハグをしながら、早速ドロシーさんのことを聞いてみました。「彼女は元気ですよ」とのことでした。一抹の心配をしながら、そこはいったん別れました。

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講演会は夜7時から始まりました。タイトルは『自然治癒の科学』。
この日は、カナダの祝日にもかかわらず、60人もの方が出席してくだり、終了後も、サインを求める人たちの長い列が続きました。

初めてお目にかかる相木陽子さん、宮地昭彦さんでしたが、長い間知っていたような感じを与えてくれました。


7月2日、朝10時から1時まで、ワークショップを行いました。短いワークショップの時間だったのですが、ワークの中で、感動して泣き出してしまう人たちがたくさんいました。終わったあとに、お互いにハグをし合いました。海外でも、それほどハグはしないと何人かの人が言っていたように、カナダでもハグは当たり前の行為ではないのでしょう。
感動の時間を終えて、参加者の松葉博さんが近くの古い漁師町を案内しがてら、ルイーズさんの自宅まで連れて行ってくれました。

ドアを開けるなり、ルイーズさんが出てきてくれました。ハグをしている間に、ドロシー・マクレーンさんが部屋の奥から現れたのです。目を疑いました。聞いてみると、ルイーズさんは私が来ることをドロシーさんに告げて、シアトルの近くに住んでいるドロシーさんを往復8時間かけてバンクーバーまで連れてきてくれたのです。
カナダ人らしいサプライズを仕込んでくれました。
私がドロシーさんとハグするのを、にこにことして眺めているルイーズさんの顔をちらっと眺めながら、ありがとうと深い感謝のウィンクをしてしまいました。

ドロシーさんは元気でした。
ルイーズさんの家では、ご主人のレンウィックさんがベースの練習をしていました。
レンウィックさんは、仕事がない土日の夕方、近くのレストランでジャズを演奏しているそうです。私が来るというので、一番下のお嬢さんでチェリストのヘイゲンさんが待っていてくれ、またご主人のレンウィックさんが友人のピアニストと二人での練習演奏を披露してくれました。
何か、レンウィックさんの素晴らしい人生の楽しみ方を垣間見た感じがしました。

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夜は、ホットタブを用意してくれましたので、旅の疲れをとることができました。
翌日、あまりにも静かなルイーズさんのじたくでしたので、10時半までぐっすりと眠っていました。
朝食ともつかぬお昼を食べたあと、ルイーズさんと二人でいつもの灯台のある原生林を散歩しました。夜はルイーズさんの家で夕食会を催してくれました。ここには旧知の大学教授のカップルのエイブラハムさん、ヒースンさんが加わりました。8月上旬、京都の学会に出席するので、日本の事情を少し知りたいということでした。

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7月4日、早朝にバンクーバー空港に向かいました。朝5時半に起きてみると、ドロシーさんが起きていました。私たちを空港に見送りにきてくれるというのです。嬉しいやら、もったいないやら、不思議な心境でした。


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空港には相木陽子さんも見送りにきてくれましたが、陽子さんの驚きようといったらありませんでした。カナダ人の神様みたいなドロシー・マックレーンさんがそこにいたからです。「会えただけでこんなに嬉しいことはありません」、と言って握手をしていた洋子さんが印象的でした。


バンクーバーから飛行機に乗り、シアトルで乗り換えて、7月5日午後、成田空港に無事到着しました。
振り返ってみて、コルテス島のワイル博士のところに行けなかったこと、またほかにも会いにいけなかった人がたくさんおりましたことが、心残りでした

しかし、毎月ある講演の合間をぬって、精一杯スケジュールをこなし無事に帰ってこられたことを素直に喜ぶべきでしょう。いまだに疲れが残っている感じもありますが、帰国してすぐしなければならない仕事が山積していますので、一つひとつ、体力を回復しながらこなしていこうと思っています。

7月は、朝日カルチャーセンターでの講義の後、女神山ライフセンターでのワークショップと穂高でのセミナーが連続で控えています。
今回の旅で体験してきたことを、いろいろと参加者のみなさんにお話しながら、皆さんに新しい刺激をもたらしたいと思います。


(署名)愛 心