2013年2月 寺山心一翁 月の言葉 | 寺山心一翁のガン治しの方法は、ガンに愛を送ること、意識を高めること。

寺山心一翁 月の言葉

寺山心一翁 月の言葉

2013年2月の言葉

2013年2月の言葉
2013年2月の言葉

あっという間の2月でした。このところ月日の経つのが、昨年に比べてさらに早く過ぎていく感じがして、その変化が益々加速されてきているように思えてなりません。同じことを1月の言葉でも書きましたが、本当にそう感じて過ごした2月でした。


23日、福岡県立大学看護学部から招かれ、「寺山心一翁の愛と癒しの響き」という、チェロの演奏を含む2時間半の講演をしました。この講演会は、福岡県立大学の第8回がん看護セミナーということでした。

2013年2月の言葉

福岡県立大学には2010年も招いていただいており、それが今年のご縁につながりました。
今回は以前と違い、幅広く一般の方も参加できる形の講演会が実現しました。
このイベントを成功させるために、看護学部の村田節子教授は、昨年10月に福岡から東京にわざわざ打ち合わせに来て下さり、その後に着々と内容が詰められていく中で、大変なご尽力をなさっておられました。

会場は福岡市中心部にある、電気ビルみらいホールで当日は300名近い方が来場してくださいました。


2013年2月の言葉

今回、同大学の学生である富永琴里さんが私の伴奏をしてくれることになっていました。前日福岡入りして、夕食会ではじめて顔合わせをしました。
琴里さんの顔を見て、私は何かとても安心しました。翌朝の2時間の練習でどうなるかと心配をしていたからです。


当日の会場は、がんを自然治癒力で治癒したいと願っている人たちと、その家族の方々も加わり、看護学科の学生と一緒になって熱心に聴講してくれました。

第一部がはじまりました。まず、私の創案した意識の超越理論の説明から入り、意識が高まるということか、がんなどの難病の癒しにどのような役割を果たすかを最初に述べ、そのあとで、私がどのようにしてがんを作っていったかを、チェロとピアノの演奏を進めながら皆さんに話ました。
私ががんを作った原因の詳細を述べながら、当時の顔の写真を見せた時、会場にはどよめきが走りました。いかに競争意識に満ちていた顔であったかを、会場の人たちは食い入るように見ていました。もちろん後で私の顔がどのように変容していったかも見てもらいました。
それとともに、がんが見つかる前に、その前兆として、疲れやすいという症状にもかかわらず、つまり、症状が現れていたにもかかわらず、病院の検査では異常なしと判定されたことをお話ししました。この時すでに、からだは私に異常を教えてくれたのです。ヨガの先生からは、私を取り巻くオーラが汚れ、チャクラが閉じていることを忠告されていたのです。この話しで前半は終わりました。
休憩をはさんで、第2部では、がん治療のガイドラインに従って治療を受けた結果、家族があと数か月の命という告知を受けたことを、まずお話ししました。病室のにおいに耐えかねて退院したこと。自宅に戻った後、一切病院の治療は受けないで、がんが消えていったことを話ました。
直観的に死が近いと思い、腹が据わったこと。毎朝日の出を見て、宮澤賢治の詩「雨ニモマケズ」を日の出に向かって朗唱巣の毎日の中で、徐々に直感が高まっていったこと、その直感に従って少しずつがんが癒されていったことを中心に、私がいろいろと行った具体的な方策を述べました。
最後に、ガン治癒に大きな役目を果たす看護師に成長していくためは、どのようなことをこれから学んでいくべきかを提案して講演を終えました。

福岡県立大学からいただいたアンケートの集計では、70%近くの人たちがアンケートに答えてくれたということです。記入してくださった人たちの意欲ある書き込みに感動しました。そして、80%以上の方たちが講演を評価してくれたことを知り、嬉しく思いました。

今回、チェロの演奏をするに当たり、ピアノの伴奏をしてくれる人を、看護学科の学生から公募で選ぶことにしましたところ、3年生の富永琴里さんが引き受けてくれることに決定しました。富永さんからご自身が演奏しているCDを送っていただき、その後村田先生から許しをいただいて、前もって電話とメールによる交流が始まりました。
数日に1回の頻度で、ご本人にとっては私のようなお爺さんから、いろいろと言われて、さぞ迷惑であることは想像しながらも、この講演会を成功させるためには、必須の事項でした。
琴里さんは、私の送信したメールをよく読んでくれて、時間を取ってちゃんと練習に励んでくれました。この努力と熱意に深く感動しました。

当日の朝9時半に会場で会い、早速リハーサルを始めました。
琴里さんは大変素直にすべての私からの注文を、すべてその場で実行して、演奏スタイルを変更していってくれました。本当にありがとう。
帰路は空港まで送ってくれて、私が搭乗口に入るまで、村田先生と一緒に手を振って見送ってくださいました。

実はリハーサルでハプニングもありました。私は会場の音響効果を見るために、会場のあちこちを歩き、音の確認をして舞台に戻った時です。約60僂離好董璽犬法軽々と飛び乗る動作で、飛び上がったのです。前から少し痛みを感じていたのですが、その時左足の膝に激痛が走りました。
この痛みは講演と演奏中にさらにひどくなり、私は2時間半の講演をなんとか終わりまでできるように祈るような気持ちで舞台に上がっていました。

さて、その夜福岡から戻りましたが、膝のあまりの痛痛みに耐え兼ねて、翌日、我が家の近くにある池添祐彬先生の治療院に助けを求めました。池添先生は日本柔道整復師会会長で元帝京平成大学教授をしていた名治療家です。先生の触診によって、左足内側じん帯損傷で、ひざ内部に内出血を伴って発熱をしているという診断が下されました。池添先生の手は、X線撮影よりも優れていることを目の当たりに見せてもらいました。
いまだに完治はしていません。

2月は、3月のいろいろな行事のための準備に追われて過ごしました。3月にすごいことがおこる予感がいっぱいで過ごしたといってもよいでしょう。


(署名)愛 心